「あらかじめ決められた恋人たちへ-20th BEST-」コメントを頂きました。

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あら恋のベストを聴いた。
名曲ばかりだった。
この20年間、あら恋からはつい襟を正したくなる衝動や熱量をガンガン喰らってきた。いつもその溢れ出るエネルギーに刺激を受け、自分のケツを叩かれてる気持ちになっていた。だけど、ベストを聴いてこんなにも豊かな音楽を作り続けていたんだと当たり前のことを思い知らされた。俺はあら恋の何を見てきたんだろうとちょっと恥ずかしくなった。
自分はこの20年間で余計な脂肪が頭にも体にも付いてしまったけど、あら恋の脂は全部旨味に変わっていて上質なベストアルバムでした。
ずっと聴ける一枚になった。
やり続ける資格と覚悟を持ったあら恋に別に言わなくていい事かもしれないけど。ひとまず20年お疲れ様でした。
まだまだなんか一緒にやりましょう。

同期の映画監督 山下敦弘

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例えば、山間の曲がりくねった寂しい道を進んで行くと、
突然、目の前にブワ~ッと海が広がるような、
例えば、見知らぬ街の細い路地を延々とさまよっていて、
不安な気持ちのまま、何気なく角を曲がった途端、
グワ~ッとした駅前の繁華街に出るような、
そんな風な感覚があら恋の曲にはあるように思います。
そんな時、得体の知れない、なにかお湯のようなものが、心の底から湧いて出ます。
刻々と移り変わる空模様。流れ行く雲。絶え間なく行き交う人々。千切れ飛ぶ車窓の風景。明滅する街明かり。
あら恋の音楽は「旅」そのものなんだと思いました。

吉野寿(eastern youth)

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池永正二と話しているとよく、ぐわぁぁぁとか、わしゃぁぁぁぁとか、どぅぅんっとかいった謎の擬音が、奇っ怪な身振りつきで飛び出す。
きっと彼の頭の中では次から次へと様々な音が生まれてはぐるぐると渦巻いて、脳内は常に沸騰寸前、カオス状態なのだと思う。
例えるならきっと「ドグラ・マグラ」の主人公の頭の中に近い。
それなのに……このベストアルバムは、あまりにも素敵だ。
そうか、あのぐわぁぁぁとかどぅぅんっが、ある瞬間こんなにも豊かな表情を持った音楽として産み出されるのか。
そう思うと、感動を超えて神秘的ですらある。

熊切和嘉(映画監督)

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コメント引き受けてから、自分的によくなかったらどうしようと思ってましたが、杞憂に終わってホッとしています。
あら恋のかっこよさは、端正な楽曲の中から突然狂気が噴出する瞬間のカタルシスですが、本作はその部分が特に洗練された印象です。
『過激な端正さ』っていうのもあるんですねー。音楽はホントに奥深いです。
20執念おめでとうございます。

山本精一(ミュージシャン)

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あら恋20周年おめでとうございます。
ベストアルバムを聴いているうちに同世代として、時代を振り返ることもできるし、また、これから先のあら恋がどうなるのかが、楽しみになっています。
また一緒に何か面白いことをしたい。
面白いことを考えて、ニヤニヤ笑っている池永さんの顔が目に浮かぶようです。
いいな、羨ましい。

沖田修一(映画監督 ・ MV[gone feat.曽我部恵一])

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あらかじめ決められた恋人たちへのライブを、初めて観たときの衝撃は忘れられない。爆音、ストロボ、ピアニカ、そしてテルミン。耳と目と心をわずか30分ほどで、やられてしまった。変態的編成にして感情の直球。あれは事件だった。
そんなバンドの新しいアルバム。導入の1曲目、軽く裏切られ小気味いい。2曲目、ぶん殴られる。ライブは更に凄いことになりそう。ラストの曲も最高に気持ちいい。轟音もかっこいいけど、南国っぽいレゲエ感の強いアプローチもハマる。ずっと聴いていたい。
あら恋らしさもありつつ、陰陽で言えば陽、有機的な表現部分が増している。良い意味で、キャリアの長さを感じさせない作品だ。そして、ライブで実際に目の当たりにして初めて完成する作品だと思う。

佐藤千亜妃(きのこ帝国)

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それぞれの季節のあとに わたしは ふと 落とし物をしてしまっている それが何だったのかを 思い出そうとして こんなとき決まって 「あらかじめ決められた恋人たちへ」のトラックを耳にするのだ その一つ一つが なつかしさや ロックンロールや やさしさや すずしさや あなたの言葉や 笑顔だったことに はっきりと気がつく もう失わずに 生きていける ボリュームを大きくする

和合亮一(詩人)

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『あらかじめ決められた恋人たちへ -20TH BEST-』完成おでとうございます。
20年経った今もなお、新しい表現をみつける池永正二がベスト盤を作ったのは、新たな決意を見つけたからだと思う。実際のところは本人にしかわからないけれども。
長く続けてこれたからベスト盤が作れたんだな、と聴いててそれがいちばん心に引っかかって最初に出た言葉です。
それにしても、ベスト盤って(笑)!
最初に聞いたときは「マジか!」とビックリしたけれども、よく考えたら続ける人の証だと思いました。
こうなることはあらかじめ決められていたんでしょう。

柴田剛(映画監督・MV[back][翌日][Fly])

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ぼくの知っているあら恋は、いつもどこかに登っていた。

初めて出会ったのは 21 世紀に入ってすぐ、扇町の DICE というライブハウスだった。日本一小さいというフレ コミの、40 人も入ればぎゅうぎゅうになってしまうハコを真っ暗にして、ヘッドライト一本で行われたショウ。 最後の曲だけは客電まで全部オンにして、池永さんは照明のバーにぶら下がり、ピアニカを吹いていた。

今はもう無い大阪は新世界フェスティバルゲート内、ブリッジというお店。打ちっぱなしのだだっ広い部屋、黄 昏の薄闇に灯りをすべて消し、大きな窓枠に飛び移った池永さんのシルエット。使われなくなって久しいジェッ トコースターの向こうの空に吠えていた。

西部講堂前で開かれたボロフェスタのプレイベント。丸太で作られた櫓風のステージ、東大路からの入口にはイ ントレで門を作った。そのどちらにも登ってくれた。グラつく櫓のてっぺんでピアニカを吹き鳴らす池永さん、 苦情ぎりぎりの爆音、はらはらしながら見つめるスタッフ達、夕闇が迫る中、彼の後ろで光った西部講堂の三ツ 星を忘れることはできない。

レインドッグスの二階。メトロのカウンター。ファンダンゴの階段。ベイサイドジェニーでは上るなといわれた スピーカーに再三上って出禁になったという話もある。たしかに池永さんは単純に高いところが好きだったのか もしれないけれど(そういえば天六にあったマンション―そこで何曲かシグナレスのレコーディングをした―も 結構な高層にあったような)、それよりも彼にとって大切だったのは、「呼ぶ」ということだったのではないかと 思う。

マイクから離れ、照明からも外れて、その会場で一番高いところを見つけては駆け上がり、よじ登り、池永さん は誰を呼んでいたのだろう。何を叫んでいたのだろう。

おーい、なのか、ありがとう、なのか、あっかんわー、なのか、ええんちゃう、なのか、わっからへん、なのか、

すこし遠くを見ることができるひと、すこし未来を、あるいは過去を見ることができるひと、 ここにない、外や裏にあるかもしれないものを見ることができるひと、 高いところにいたから見えたのか、見えるひとだから自然とのぼるようになったのか、まあどちらでもいいか。

このベストアルバムからは、20 年間、あら恋が見てきた景色が、いくつもの連続線と断絶を交えて、ほんのすこ しだけ浮き上がってくる。景色の中に込められた誰かの声、そして目撃者で撮影者で語り手でもある、池永正二 とメンバーたちの声。あらかじめ決められた恋人たちの声。あらかじめ決められた恋人たちへ向けられた声。ぼ くは部屋の明かりを消して聴く。ヘッドライト一本で聴く。

ゆーきゃん(シンガーソングライター/ボロフェスタ/シグナレス※)

※シグナレス:ゆーきゃんと池永のユニット

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